アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

なぜかつきまとって離れない遠藤周作の影・・・

遠藤周作『肉親再会』でした。そういえば高校三年生の時、学園祭のチーム演劇で遠藤周作の『女の一生 キクの場合』やったね。「やったね」って言うと、すぐに「やってない…じぶんは。」って気がする。なぜだろう。協調性がないと実際に体験した出来事も、何かで観た、読んだような記憶になってしまうのか…ちがうな…ただ遊んでたからだ…他人に任せて自分はただ楽しいことをしているだけだったからだ…ってことに気づく…脚本作り、高校生の頃に経験しとくべきだと思う。(じぶんはしてないのだけれど…)そういえば、最後のグランドファイヤーでも、グランドの植え込みに隠れて(土砂降りだったから雨に濡れたまま)じっとじぶんの名前が呼ばれなくなるまで待ってたわ。今にして明かされる(じぶん自身に)「さびしい高校時代の真実」…「遠藤周作」というような名前とじぶんがつながることの違和感がある。そして、当時も現在も、決して熱心な読者ではないことの負い目もある。だが、「熱心な読者」とは、どういう意味か。では、だれの「熱心な読者」であったというのか。