アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

日本人の正解主義、辺境根性、お上意識

今、例えば友人や家族と話していて、自分たちが話す内容に、下手すりゃ、世界中で誰も気づいていないイノベーティヴな発想が含まれてるかもしれない、何か価値あるものが含まれているかもしれないなんて考えて、真剣に会話に取り組むことがあなた方にはありますか。

私は高校生時代、熱心に友人Tと政治について議論し合っている途中で、その友人に、こんなところでオレらがこんな話しをしていったい何の意味があるんだ、全く無意味だ、と言われ、納得できない感覚をかかえながら、合理的で説得的な反論を思いつくことができなかったという経験をしたことがあります。

一言で言えば、ここに表れているのが「辺境根性」です。つまり、私の友人の発言と私の態度からは、次のような意識が読み取れるのです。

自分のいる場所以外のどこかに世界の中心があり、自分たちはそこからは外れた場所にいて、できれば中心まで、その近くまでいきたい、と考えている。そこへ行くためには、ビックになることが必要だ、つまり権力を何らかの形で手に入れることが必要だと感じているのです。そして、そこへたどり着くまでは、自分たち自身の発言や考え、その存在までもが無価値なものと感じられているということです。

これはいたってまっとうな奴隷根性(ちょっと表現が強すぎますね「何ものかに対する健全な忠誠心」とでもいうのがよいでしょうか)であり、私とその友人Tとが権力に対する敏感な嗅覚をもっている日本人らしい若者であることの証拠であったのです。

・今の若者たちの「正解主義」「満点主義」手を挙げず、正解を待つ姿勢。

・「厳密性」の本当の意味

・「批判精神」について