アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

八月六日無数の惨めさに向き合う

黙示録的意味や歴史的意義は必要としない人たちと

 

婉曲な表現をするのはよそう。その日の午後へ向かう。躰は大火傷でケロイド、なけなしの平穏である隣人たちと垂れ下がる皮膚を見せ合い言葉もない。何より自ら産み育ててきた子どもが生焼けで泣く力もなく蹲る。炭化した人形になった生み育て慈しんだ子どもたち。柔らかい頬や手足を、お腹やお尻を撫で慈しんだ平穏と希望。なけなしの希望を目の前に蹂躙されたその惨めさ。勿論激痛を抱え、今夜死ぬ身も顧みず、何より意気阻喪させるものは己の肉体的災厄ではなく子供の苦しみと残された炭。起こっている事柄の全体像や意味など必要とせず、ただ昨日という日に戻りたいと願う、その惨めさ。を、だれが贖うか。なにに贖えるか。