アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

鼠骨来る 共に午餐をくふ/鼠骨去る 左千夫義郎蕨真来る 晩餐(鰻飯)を共にす 正岡子規

◇ 病床で激痛にのたうちまわる俳人を、友人や弟子筋がひっきりなしに見舞う。まるで病床がサロンになったかのよう。代わりに痛むわけにはいかないけれど、傍らでしばし気を散らせることはできる。そこには痛む人を孤立させないという知恵が働いていた。そういう形で、痛む人を支える〈痛みの文化〉があった。「仰臥漫録」から。                                              

(「折々のことば」鷲田清一2016.10.8朝日新聞

 

 痛む人たちのその痛みを和らげようと、システムが行政が生活支援をメンタルケアを公的サービスとして行う。もしくは、市場のなかで対価を支払ってセルフケアを行う。そのような贈与や交換のような「和らげ」ではなく、もっと、「純粋贈与」のような、「おせっかい」はないか。誰かが何の得にもならなくても、悩みを聞いてくれないか。悩む前に、多くの悩みを未遂で終わらせることはできないものか。

 

 ミヒャエル・エンデ『モモ』で読んだように、みんなそのための時間をドロボウされてしまっているんだろうな。