アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

漸進主義は現代医療のヒーローだ1 アトゥール・ガワンデ

医療に対して、私たちはヒーローに対するのと同じような期待を抱いている。第二次世界大戦後、ペニシリンなど山ほどの抗生物質が、それまで神の手によるしかないと思われていた細菌性疾患の災禍を克服した。新しいワクチンがポリオやジフテリア、風疹、麻疹を撃退した。外科医は心臓を開き、臓器を移植し、手術不能だった腫瘍を切除する。心臓発作を止められるようになり、がんは治せるようになった。過去、どの世代でも経験したことがないような人の病気に対する治療の変化が、この一世代のあいだに起きたのである。これはまるで、水をかければ火を消せることを発見したようなものだ。だから、それに合わせて医療システムも消防士を配置するかのように作り上げられている。医師は救世主になった。

しかし、このモデルはまったくの間違いである。病気が火事だとすれば、大半のものは消えるまでに何カ月も何年もかかるか、小さなくすぶりに抑えることができるだけである。治療には副作用があるだろうし、合併症にはもっと注意を払わなければならないだろう。慢性疾患がありきたりの病気になってきたのだが、それに対する備えは貧弱である。人の病の大半には、もっと地道なタイプの技術が必要なのである。(原井宏明訳)

世の中で起こる事柄すべてを鮮やかにコストパフォーマンスのコードで解釈してみせる手際の輩はきっと自然そのものがデジタルに出来上がっていると思い込んでいて、「経験の不足」という一世紀以上前から指摘されている教育上の病を患っているが自分では気づけない。それで、人間の身体に起こる現象も感情というフィールドでの出来事も、一挙解決が可能なゲームと見なしてしまうので、言葉で表現されるとき「ゲーム」ではなく「自然」と銘打たれている場合でさえ、訳知り顔を装い「万事先刻承知」と自ら勘違いをしていることに気づかず 、だがそんな人間が本当にいるのか。いるとすればまず思い浮かぶのは過去の自分自身であり、あと思い浮かべることができるのは自分の仲のよい友人くらいで、それ以外は想像上の人物か、断片で与えられた発言から作ったイメージ上の人物かで、「この人がそうだ」と指させる人物はいない。