アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

170826(土)渡辺京二より

170826(土)

渡辺京二より酒井若菜様へ「あなたへ往復書簡」

根岸鎮衛『耳袋』/橘南谿『東西遊記』/松浦静山『甲子夜話』

三田村鳶魚『歌舞伎百話』

「政治季評」豊永郁子

17世紀の哲学者ジョン・ロック『市民政府論』

「被征服民の権利」

 

ロックの所説は、沖縄に関して、さらに次の三つのことを示唆する。

 第一に、ロックの謳(うた)う「被征服者とその子孫」の権利は、あくまで個人の権利であり、ナショナリズムとは関係ない。「沖縄ナショナリズム」がなくても、政府をつくる権利や先祖伝来の土地などへの権利が主張され得るということだ。

 第二に、過去における征服者への追従や同化、忠誠が、彼らのこうした権利を減じることもない。沖縄を明治期に征服した日本、大戦で征服したアメリカ、そのどちらにも沖縄はよく順応したのかもしれない。それでもなお子孫には、征服で失われた権利を主張できる可能性がある。

 第三に、征服者に与えられた政府は、被征服者が自らの意思で承認した政府ではない。沖縄の人々にも、日本の政府は自分たちが同意によって生命・身体・自由・財産の保護を委ねた政府ではないという感覚があるのかもしれない。そうだとすれば、彼らの訴えがつねに日本の政府は本気で沖縄の個人を守る気があるのかという問いに帰着し、その問いに切迫感があるのもうなずける。加えてここには沖縄戦の記憶もある。