アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

「コミュニケーションにおける闇と超越」國分功一郎/千葉雅也対談『現代思想』1708「コミュ障」の時代

國分 ある一定の貧相な基準に合致する人物しか活躍できないような社会はよくない。僕の知る業界だと、例えば大学の人事評価や新任人事のやり方にもエビデンス主義が入ってきていて、五つぐらいの評価枠をつくって点数をつけるというようなことが行われてきているけど、それによって失われるものは非常に大きい。ただ、繰り返しになるけど、この種のエビデンス主義は、ある意味で民主主義の徹底なんですね。誰にでも理解できる基準でものごとを決めるということですから。だから簡単には否定できない。ただルートがそれだけになってしまうのはまずい。何でもかんでも、決まり切ったわかりやすい公正な原理で進められればいいというわけではないでしょう。

千葉 なるほど、コミュニケーション規範性にうまく乗るような営業トークも、一定のパラメータでしか評価しないエビデンス主義も、画一化という大きな流れのなかにある。まあ、それらしいエビデンスを根拠資料にして、ある典型的なグルーヴでプレゼンする営業マンというのが企業にも大学にも溢れていますからね(笑)

 同感。企業はいいとしても、教育機関や教育者までが、自分たちの目指す価値を反省的に見つめ直すことを怠って、画一的な価値観で生きる人間を生み出し続ければ、(新たに今よりも悪い社会が生み出されるのではないが)現在のような社会が続きながら、同時にその毒素の部分が一層その濃度を増していくことになる。それがつまり多様性の喪失…弱体化…なのか。