アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

つづき 青来有一「フェイクコメディ」『すばる』9月号(2018)p118

 もし退職するまでに、なにかこれからできることがあるとしたら、マロニエの樹をもう一度植えることぐらいかもしれない。地下の展示室の痛ましさに打ちひしがれた人々が、ああ、ほんとうにひどいことだったのだね、黒焦げのあの少年は熱かったろうね、と語り合い、高まった胸の鼓動をしずめるための、たっぷりと光をふくんだマロニエの木陰。ただ、もしも明るい木陰がよみがえっても、大風で倒れ、シロアリの被害のために伐採したマロニエの木陰とは、もうなにもかもちがう世界であることはどこかで伝えておきたい。もしも、キッシンジャー氏に花の下で会う機会があるなら、ひとたび失ったものはもうもどってはこない、マロニエのうすもも色の花が咲いても、この花はかつてここに咲いていたマロニエの、あの花でないことは、ぜひ話してみたいと思う。

 はじめの九本のマロニエを植えたときにももうすでに、世界はそれまでの世界とは違ってしまったのでしょう。レオ・シラードの脳裡に、爆発のアイデアが生まれたときからすでに。いやそれどころか、ただ道具がちがうだけで、もっともっとまえからもう、じっさいの爆発のあとの世界までずっと、変わることなく同じ世界が続いてきているだけなのかもしれない。いま流行りの「絶滅」時代の到来という視点からすると、それがいちばんふさわしい見方なのかもしれない。