アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

三島由紀夫は「自裁死」で何を訴えたのか 保坂正康

もはや有意義なことはなし得ないという段階におのれの人生が達したとき、あるいは死を賭して参画するほかない当面の行動以上に有意義なものを自分の将来において展望し得ないというとき、人間は自死を遂行しなければならないのだ。そう身構えなければ、『生きることそれ自体』が最高位の価値になりおおせてしまい、結局、生命が一切のニヒリズムの温床となる」(西部邁「虚無の根を絶つ決断」.平成12年11月25日「産経新聞」/保坂正康『続 昭和の怪物 七つの謎』引用)

 今の私の生は、西部に言わせれば「一切のニヒリズムの温床」ということになるのだろうか。学生時代に友人たちと議論した、三島の「2・26」に対する評価や西部の「絶対平和主義批判」という話題は、「天皇制」や「戦後体制」という当時も今も日本社会で議論され続けている問題系に属する、近代日本人にとって不可避の問題であり、それゆえ私たちの世代的な感受性から喚起されもしたものだろうし、当時としての時代精神の稚拙な表れでもあったといえるだろう。当時も「自裁」は絶対的に自分の現実的な選択肢からは排除されていたとはいえ、思い返してみればそれは一身の価値を考えるときにはいつも、論理的なオプションとしては存在していた。

 保坂の著書を読みながら、藤村操、芥川龍之介山崎晃嗣三島由紀夫西部邁という「自裁」の系譜をたどり、自分自身を日本近代の社会の構成員と位置づけていたわたし自身の「真面目な私」はいつしか失われ、三島や西部が嫌悪し、抗い、命をかけて否定した欺瞞社会の一員となっていたのだという感慨深い思いが生まれた。