アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

非常に多くの示唆に富む「身体の多重性」 中井久夫集8『統合失調症とトラウマ』所収

 中井久夫は人間の身体を「重層体としての身体」(p169)として、28の視点から規定しているが、さいごには「まだまだあるぞと言われそうです」とさらに多層的に人間の身体を見ることができるということを示唆しています。

 その中の「社会的身体」について。「ファントム空間」についての具体例と説明に続いて、

 それから表現する身体ですが、舞踏もあり、身体言語、例えば嫌な時は嘔吐し、早く忘れたいことがあると下痢をするというところまでの幅があります。身ぶり手ぶりというものもあります。技術伝達においては身ぶり手ぶりが大切だそうです。相手の言葉がよくできて相手の発想に立ってしまう人は技術移転ができない。日本語しかできないのもやはり駄目ですが、ことばがあまり上手く喋れないが相手に伝達したいという熱意が非常にあって、身ぶり手ぶりを交えながら相手に伝えようとする人が一番効率よく技術を伝達するということを聞きました。私を含めて翻訳家は、外国語がペラペラの人でなく、あまり喋れない人が多いようです。翻訳家は頭の中で身ぶり手ぶりをやっているのです。技術移転と同じです。

 キーワードは「熱意」。数日前、同僚の英語教師が廊下での立ち話で「どうも自分はストレスを発散するのが器用に得意でいけない。ストレスが全くたまらない。何か仕事で立派な収穫物を上げる者は、日々のストレスを十分にため、有用な仕事に集中してストレスのパワーを発揮しているものだろう」と言っていた。誠に器用貧乏とはこのことだろう。わたしも同意見である。会話が得意な者や人間関係の中での立ちまわりの上手な者、鬱憤を溜めずその都度自分にとって有用であり且つ周囲にその言動を心地よく受け容れられる者には、例えば上の例に見られるような翻訳や何らかの商談やプロジェクトの成功によって、他所目には表面化していない自分の能力を可視化し誇示し、地位や尊敬を勝ち取る動機、熱意も生まれはしない。同じだけの能力や熱量を潜在的には持っていたとしても、むしろある意味で不器用な者の方が人目に立つ収穫物を得る確率が高まるという気がしないでもない。また、それが、自分にはそうできないというやっかみであるという気もしないではない。あるいは当の「ストレスがたまらない」との言も、ストレスの存在の証拠なのかもしれない。