アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

柄谷行人「丸山眞男の永久革命」より引用備忘『世界』1907号

…日本のファシズムを考察しようとした彼(=丸山眞男)の仕事は、つぎのようなフロイトの言葉に対応するものであったといえる。

 

 マルクス主義のすぐれたところは、察しますに、歴史の理解の仕方とそれにもとづいた未来の予言にあるのではなく、人間の経済的関係が知的、倫理的、芸術的な考え方に及ぼす避けがたい影響を、切れ味鋭く立証したところにあります。これによって、それまではほとんど完璧に見誤られていた一連の因果関係と依存関係が暴き出されることになったわけです。しかしながら、経済的動機が社会における人間の行動を決定する唯一のものだとまで極論されますと、私たちといたしましては、受け入れることができなくなります。さまざまに異なった個人や種族や民族が、同じ経済的条件下にあってもそれぞれ異なった動きをするというまぎれもない事実ひとつを見ただけでも、経済的動機の専一的支配というものが成り立たないことが分かるはずです。そもそも理解できないのは、生きて動く人間の反応が問題になる場合に、どうして心理的ファクターを無視してよいわけがあろうかという点です。と申しますのも、経済的諸関係が生み出されるところにはすでに、そうした心理的ファクターが関与していたはずだからですし、そればかりか、経済的諸関係の支配がすでに行き渡っているところでも、人間は、ほかでもない、自己保存欲動、攻撃欲、愛情欲求など、自らの根源的な欲動の蠢きを発動させ、快獲得と不快忌避を衝迫的に求めるからです。あるいはまた、以前の探究で超自我の重要な要求について論じておきましたように、超自我が、過去の伝統と理想形成を代表し、新たな経済状況からの動因に対してしばらくのあいだは抵抗したりもするわけです。(「続・精神分析入門講義」、『フロイト全集二一』岩波書店、二〇一一年、二三五-二三六頁)

 柄谷行人が目指す「アソシエーション」創設を、丸山眞男も目指していたのであり、それを丸山は「民主主義」と呼んでいた。それは「永久革命」的な理想の民主主義への接近であり、ソ連社会主義国家主義)ではないが、アメリカ的民主主義(自由主義)でもないものである。