アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

Wachet auf, ruft uns dieStimme ( Johann Sebastian Bach Kantate BWV 140)

 バッハが聴ける、いや、バッハが楽しめるということが、どんなにかけがえのない幸福であるか。お節介な言い方で大変恐縮であるが、音楽が好きだったら、バッハに心から没入できるようになったほうがよい。いや、私は、むしろゲーテを真似て、「バッハの味を知らない人は幸福である。その人には、人生で最大の至福の一つが待っているのだから」というべきかもしれない。  吉田秀和『バッハ』〈目覚めよと呼ばわる声す〉p57

  バッハはもっぱらグールドで、あるいはリヒテルヴェデルニコフ、リッパティ、リフシッツなんかで聴き、最近はファジル・サイ、ヴィキングル・オラフソンなどでひっきりなしに聴いている。だが、ピアノ以外の曲を、それがバッハだからという理由で聴く曲はどれだけあるか…カンタータ140番も、たしかガーディナー鈴木雅明のものがあったはずだが、ハマりはしなかった。

 バッハを聴くことによって、私たちが幸福になるのは、この芸術としての彼の楽曲とその中にあるそれ以上のものと、その両方を聴きとる心がなければ、生まれてこない話である。p60

 ピアノ曲以外には「それ以上」を聴きとることができていなかったということか…

 《ロ短調ミサ》や《ヨハネ》と《マタイ》両受難曲のような大作のもつ、峻厳さから神秘な恍惚にいたる、純一無雑な歓喜から底知れない悲劇に当面したものの悲哀にいたる、いや、アルファからオメガにいたる、あの巨大な宇宙性の反映を別とすれば、私のカンタータに求めるものは、むしろ、単純さと精妙さとの驚くほどの単的な結びつきの示現なのだが、この《第一四〇番カンタータ》では、歓喜の高まりの行進とでもいったもののうえで、それが実現されているのが、私には特にうれしいのである。p61

 私の気分から言えば、バッハは、たんに「天才」というだけでは足りず、人類の全歴史を通じて唯一無二の果実を生み出した存在だともいえる。陳腐な表現かもしれないが、これまでも、おそらくこれからも、私の人生の折々に、私の感情を整え、思考へと誘う大きな力を持っている。それはキリスト教に限らず、何か宗教的な、神的な、天上的なものを感覚させる音楽という以外表現のしようがない。そして何より、聴いていて嬉しい気持ちになれる。

 クラシック音楽、なかでもとりわけバッハの音楽を、私たちは究極の喜びとして聴きながら、同時に単なる愉楽でなく、存在の深みのようなところで受け止めているだろう。バッハの音楽は、ロマン派の音楽を聴くときのようには、感情が揺さぶられることがない。むしろこちらの生々しい感情が、紙束でもそろえるようにとんとんと整えられていく。数に支配された極めて構造的・秩序的な音楽であるが、インヴェンションにしろ、ブランデンブルクにしろ、聴いていると(弾いていても)、命の底がふつふつと沸騰してきて、体が前のめりになり、歓喜という言葉がふさわしいような、大きな喜びに包まれる。(小池昌代「解説 バッハを語る〈私〉の響き」p246)

 まったく同感。そして、次の指摘。私自身も、ゴールドベルクを何百回と聴いたのは大学受験のための浪人時代。だが、そのころのできごとや関係のあった人物のことを、このバッハのピアノ曲を聴きながら回想するのは稀で、その点、ラフマニノフのピアノ協奏曲やブルックナーの8番、マーラーの4・5番なんかのように、あるフレーズから当時の自分の状況や、恋人とのことなんかがしきりと思い出されるのと対照的である。また、心が整理され、高次元の存在感覚のようなものを生み出される理由については、ヨーロッパ文明の普遍性についての問いかけと捉えて、音楽に限らず、思想・文学の分野での傍証を加え、一層の思考を促される謎を感じる。

 バッハの音楽は不思議だ。ブランデンブルグ協奏曲にしても、聴くと学生時代のことが懐かしく思い出されるというわけでもない。音楽にはそうして記憶に働きかけるところがあるのは確かだけれど、バッハの場合、果敢に現在を新しくするところがあり、今、バッハの音を浴びている幸福感の方が圧倒的なので、過去を振り返るという感傷は飛ぶ。聴いていると、もやもやとしていたものの輪郭が段々とクリアになって、存在自体が目覚めてくる感じだ。そうした感興に宗教的経験を重ねてみるのはたやすいけれど、私は、東洋の日本という国で生きていて、キリスト教の信者でもなくむしろ仏教に親しみを感じ、聖書を通して読み込んだこともない。こういう人間が、パイプオルガンで「トッカータとフーガ」とか、あの「マタイ受難曲」などを聴くと、うちのめされる。ぞっとして怖くなる。逃げ出したくもなるのである。あの響きこそ、押しても引いても簡単には動かない、腐らぬ石の文化、ヨーロッパ文明の響きではないか。p248

  バッハに幸福感を感じるつながりをここにも見出した。