アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

青来有一「フェイクコメディ」『すばる』9月号(2018)p66~67

 今年二月十四日、フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、銃の乱射によって、十七人の高校生と教職員が亡くなった事件をまだおぼえている。高校生の呼びかけに全米では百万人近くのもの人が集まったともいわれる。ワッペンやバッジをいくつもつけたカーキ色のジャケットを着て、白いTシャツをのぞかせた、丸刈りの男の子のような女子高校生、破れたジーンズを穿いて壇上にあらわれたエマ・ゴンザレスのスピーチはテレビでなんどか見た。彼女は六分二十秒のあいだの短い銃撃によって命を奪われた友だちとの思い出を語っていった。もう二度とピアノの練習をしたくないとぐちをこぼすことを聞くこともない……、キャンプで友だちと冗談を言い合ってじゃれあうことはない……、そんなふうにかれらの名前をひとりひとり口にして、不意に沈黙した。彼女の頬には涙が流れて、その沈黙はひどく長かった。長すぎて会場はどよめきはじめた。なんだ、どうしたのだ……、人々がしびれを切らしはじめたころ、タイマーの小さな音が聞こえた。わたしがここに来て、六分二十秒が過ぎました。会場にはひときわ大きな拍手がひろがった。

 もしも、ナガサキ原子爆弾で亡くなった七万四千人もの人々の名前とその思い出を語るならどれだけ時間がかかるかわからない。ただ、それに続く沈黙は三秒で終わる。破壊は三秒で終わったのだから。原子爆弾が爆発して、放射線と熱線、衝撃波が街を破壊して、人々の命を奪うのは、一、二、三、と三つ数えるほどのあいだのできごとだった。もっとも炎がさらに一昼夜すべてを燃え尽くしていくのだが。

 

 トランプ大統領キッシンジャー国務長官ら、アメリカ政府高官の視点で見た原子爆弾核兵器)の意味、価値へと、想像力の触手を伸ばしてみる。

 アメリカ人と語り合ってみたい。

 被害者遺族としてではなく。