アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

カルペンティエル『失われた足跡』2

同じ場所で同じ面々にかこまれ、同じ歌がくりかえし合唱されてわたしの誕生日が祝われていると、それが前年の誕生日とことなるのは、まったく同じ味のするケーキの上のろうそくが、一本ふえたことだけではないか、という考えにいつも責めたてられた。同じ石…

モノローグとダイアローグ

私見によれば、川端康成の文学における日本については、本来モノローグによる自己充足や解放を好まず、ダイアローグによってドラマを進展させたり飛躍させたりする谷崎潤一郎の文学と較べてみると、少なくとも一つのことははっきりするように思う。それは、…

連続する問題 からの着想

だから、人々がじぶんの労働諸生産物を価値として相互に連関させるのは、これらの物象が、彼らにとって同等な種類の・人間的な・労働の単なる物象的外被として意義を持つからではない。その逆である。彼らは、彼らの相異なる種類の諸生産物を交換において価…

6月20日つづき 社会の運命

文明とは、何よりもまず、共存への意志である。人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って、それだけ未開であり、野蛮であるのだ。野蛮とは分離への傾向である。だからこそあらゆる野蛮な時代は、人間が分散していた時代、分離し敵対し合う小集…

ミシェル・ウェルベック「ショーペンハウアーとともに」

「それでも、情報や広告の流れの外に一瞬身を置くことで、誰もが自分のうちに一種の冷たい革命を起こすことができる。じつに簡単なことだ。今日ほど、世界に対して美的な態度をとることが簡単だった時代はない。ただ一歩、脇へと歩み出せばよいのだ」。(ミ…

「ほんものの穀潰し」

自分から風土をぶちこわすようなやつこそ、ほんものの穀潰しというものだ ゴットフリート・ケラー『マルティン・ザランダー』 十九世紀の文学作品のなかで、私たちの生活を今にいたるまで規定している発展のみちすじはをはっきりと示しているのは、スイスの…

カルペンティエル『失われた足跡』1

…穀倉でもあり、泉でもあり、また通路でもあるこの河にあっては、人間の精神的葛藤など意味を持たず、個人的な逼迫など一顧だにされなかった。鉄道も街道も遠く離れていた。ここでは人は流れにのって、あるいはさからって航行していたが、いずれの場合にも、…

被知覚態、変様態、そして概念

旅、そして「動きすぎてはいけない」ヒント たとえ帰ってくるつもりでも、わたしたちが家から離れれば、大リトルネロが湧きあがる。というのも、わたしたちがいつか帰るとき、それがわたしたちだとわかる者は、もはや誰もいなくなっているからだ。(『哲学と…

意味のない無意味 メモ

旅行というのは何かしゃべりに出かけて行って、戻ってみれば今度はこっちでまたしゃべるといった、そんなものです。行ったきり戻ってこないとか、向こうで小屋でも作るなら別ですが。だから私としては旅行には向かないし、生成変化を乱したくなければ、動き…

非常に多くの示唆に富む「身体の多重性」 中井久夫集8『統合失調症とトラウマ』所収

中井久夫は人間の身体を「重層体としての身体」(p169)として、28の視点から規定しているが、さいごには「まだまだあるぞと言われそうです」とさらに多層的に人間の身体を見ることができるということを示唆しています。 その中の「社会的身体」につい…

備忘 「統合失調症」についての個人的コメント 中井久夫集8『統合失調症とトラウマ』

p71 楽観主義的な医師の患者のほうが悲観主義的な医師の患者よりも治療率が高いとあったと記憶している。 p72 患者の過敏さ、傷つきやすさはつとに知られているのに、そのことをどれだけ過小評価してきただろうか。残っているのは外傷症状だけというケ…