アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

カルペンティエル『失われた足跡』2

 同じ場所で同じ面々にかこまれ、同じ歌がくりかえし合唱されてわたしの誕生日が祝われていると、それが前年の誕生日とことなるのは、まったく同じ味のするケーキの上のろうそくが、一本ふえたことだけではないか、という考えにいつも責めたてられた。同じ石を背負いながら、日々の坂をのぼったりおりたりしていたわたしは、衝動的な感情のかたまりによる勢み―早晩、おそらくその年のカレンダーに載っているある日に、弛緩してしまうであろう勢み―によって支えられていたのだ。そして、たまたまわたしが生をうけることになったこの世では、そうした生活を回避することは、かつての英雄や聖人たちの偉業を現代に蘇生させるのと同じくらい困難なことだった。われわれはすでに〈人間=非人間〉の時代に落ちこんでいたのであり、そこでは魂は〈悪魔〉ではなく〈会計係〉に、あるいは〈漕刑船の船長〉に売り渡されていたのである。p16

 魂がすべて〈会計係〉に、あるいは〈行政官〉たちに売り渡されているということは、われわれの魂つまり我々自身が「地獄」におちる代わりに、コンプライアンス=隷従へと落ち込んでいく、ということを表現している。経済効率性や法令遵守の発想が、聖典の代わりにわれわれの行動原理を正しく示すカノンであり、そこにしか倫理的正当性は存在しない、ということになってしまう。

 そして、その論理的帰結として、その倫理に隷従できず、批判的精神を持ち、それとは別の価値を持ち出す輩はそれこそ、ほんとうの地獄へ行くしかなくなる。