アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

つづき 青来有一「フェイクコメディ」『すばる』9月号(2018)p118

 もし退職するまでに、なにかこれからできることがあるとしたら、マロニエの樹をもう一度植えることぐらいかもしれない。地下の展示室の痛ましさに打ちひしがれた人々が、ああ、ほんとうにひどいことだったのだね、黒焦げのあの少年は熱かったろうね、と語り合い、高まった胸の鼓動をしずめるための、たっぷりと光をふくんだマロニエの木陰。ただ、もしも明るい木陰がよみがえっても、大風で倒れ、シロアリの被害のために伐採したマロニエの木陰とは、もうなにもかもちがう世界であることはどこかで伝えておきたい。もしも、キッシンジャー氏に花の下で会う機会があるなら、ひとたび失ったものはもうもどってはこない、マロニエのうすもも色の花が咲いても、この花はかつてここに咲いていたマロニエの、あの花でないことは、ぜひ話してみたいと思う。

 はじめの九本のマロニエを植えたときにももうすでに、世界はそれまでの世界とは違ってしまったのでしょう。レオ・シラードの脳裡に、爆発のアイデアが生まれたときからすでに。いやそれどころか、ただ道具がちがうだけで、もっともっとまえからもう、じっさいの爆発のあとの世界までずっと、変わることなく同じ世界が続いてきているだけなのかもしれない。いま流行りの「絶滅」時代の到来という視点からすると、それがいちばんふさわしい見方なのかもしれない。

青来有一「フェイクコメディ」『すばる』9月号(2018)p66~67

 今年二月十四日、フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、銃の乱射によって、十七人の高校生と教職員が亡くなった事件をまだおぼえている。高校生の呼びかけに全米では百万人近くのもの人が集まったともいわれる。ワッペンやバッジをいくつもつけたカーキ色のジャケットを着て、白いTシャツをのぞかせた、丸刈りの男の子のような女子高校生、破れたジーンズを穿いて壇上にあらわれたエマ・ゴンザレスのスピーチはテレビでなんどか見た。彼女は六分二十秒のあいだの短い銃撃によって命を奪われた友だちとの思い出を語っていった。もう二度とピアノの練習をしたくないとぐちをこぼすことを聞くこともない……、キャンプで友だちと冗談を言い合ってじゃれあうことはない……、そんなふうにかれらの名前をひとりひとり口にして、不意に沈黙した。彼女の頬には涙が流れて、その沈黙はひどく長かった。長すぎて会場はどよめきはじめた。なんだ、どうしたのだ……、人々がしびれを切らしはじめたころ、タイマーの小さな音が聞こえた。わたしがここに来て、六分二十秒が過ぎました。会場にはひときわ大きな拍手がひろがった。

 もしも、ナガサキ原子爆弾で亡くなった七万四千人もの人々の名前とその思い出を語るならどれだけ時間がかかるかわからない。ただ、それに続く沈黙は三秒で終わる。破壊は三秒で終わったのだから。原子爆弾が爆発して、放射線と熱線、衝撃波が街を破壊して、人々の命を奪うのは、一、二、三、と三つ数えるほどのあいだのできごとだった。もっとも炎がさらに一昼夜すべてを燃え尽くしていくのだが。

 

 トランプ大統領キッシンジャー国務長官ら、アメリカ政府高官の視点で見た原子爆弾核兵器)の意味、価値へと、想像力の触手を伸ばしてみる。

 アメリカ人と語り合ってみたい。

 被害者遺族としてではなく。

大江健三郎「奇妙な仕事」『大江健三郎全小説1』p16

 

僕がその赤犬を引いて囲いの入口まで行った時、女子学生が血に汚れた毛皮をさげて出て来た。それを見ておびえた赤犬が暴れるのを運び紐を引き締めて静めようとした僕に赤犬は激しく跳びかかり腿に咬みついた。囲いから出て来た犬殺しがすばやく赤犬を引き離したが腿は痺れたように無感覚だった。

 ひどい悲鳴を上げたわね、と女子学生がいった。赤犬に咬まれたくらいで。

 

 

 恥辱の具体例を思いつく能力は天下一品。

Nussbaum, Martha Craven ” Not for profit : why democracy needs the humanities"

epigraph

[H]istory has come to a stage when the moral man,the complete man, is more and more giving way, almost without knowing it, to make room for the . . .commercial man, the man of limited purpose.This process, aided by the wonderful progress in science, is assuming gigantic proportion and power, causing the upset of man’s moral balance, obscuring his human side under the shadow of soul-less organization.
                                                   —Rabindranath Tagore, Nationalism, 1917

 

Achievement comes to denote the sort of thing that a well-planned machine can do better than a human being can, and the main effect of education, the achieving of a life of rich significance, drops by the wayside.
                                           —John Dewey, Democracy and Education, 1915

 

中村和恵「ウィーン」(2018.9「みすず」)

ジーン・リース『ウィーン』(引用)

 男たちがわたしをだめにした―いつもわたしの心には見向きもせず、身体にばかり執心して。女たちがわたしをだめにした、意味のない残忍さと愚かさで。唯一持っている武器をつかう以外、わたしにはどうしようもなかったじゃない?

手桶と盥を持って、彼女は勝手口を出たり入ったりしていた。身につけている白い胴着はとても薄く、胸の形がはっきり透けて見え、暗色のスカートをはき、裸足で、ちいさな頭にとても長い首、イシマのように切れ長の目をしていた―わたしは途方もない喜びを感じながら見つめた、彼女がほんとうにすらりとして若く、優美な絵のようだったから。そして彼女がわたしをちらりと見たとき、その目にはなにか誇り高く、野生的なものが浮かんでいたように思ったから―たとえるなら若い雌ライオンのような―ある女が別の女を見るときたいてい浮かべる、くだらない敵意じゃなくて。 

 

 

 

ジルベール・シモンドン『個体化の哲学ー形相と情報の概念を手がかりに』

2018.8.31「週刊読書人」書評

上村忠男

ジルベール・シモンドン『個体化の哲学ー形相と情報の概念を手がかりに』

…シモンドンは1950年代当時まだ緒についたばかりの高度産業技術社会の時代にあって、その時代の申し子であるとともにその時代を領導していこうとした多種多様な科学技術知から概念を借り受けつつ、それらの概念に独自の意味内容を付与している。そして個体が個体として生成する個体化の様相を、まさにその生成の相に即して、物理的レベルでの個体化から、生物的レベルの個体化、さらには心理的レベルの個体化をへて、個々の主体の成立を可能にすると同時に複数の主体に通底する超個体化のレベルにいたるまで、包括的にとらえようとしている。

 

Blog「内的自己対話―川の畔のささめごと」黒田昭信

2016.2.16~「ジルベール・シモンドンを読む」

 

米虫正巳「自然哲学は存在し得るか―シモンドンと自然哲学」

『思想』2010.4月号