アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

むなしくすごした悲しい時の/先に後に延々と横たわるあほらしさ

現在の時過去の時は

おそらく共に未来の時の中に存在し

未来の時はまた過去の時の中にあるのだ。

時がことごとく不断に存在するものならば

時はことごとく贖いえないものとなる。

かくもあったろう、とは抽象で

どこまでも可能性の止まるというのは

思索の世界においてだけだ。

かくもあったろうと、かくあったとの

終わる所はただ一つ、それがいつも今に在るのだ。

足音が記憶の中にこだまする

われわれが通ったことのない通路を

開けたこともない戸口にむかい

バラ園に出て行く。ぼくの言葉とてこのように

きみの心にこだまするのだ。

T.S.エリオット『四つの四重奏』「バーント・ノートン Ⅰ」二宮尊道