2019-10-08 むなしくすごした悲しい時の/先に後に延々と横たわるあほらしさ 現在の時過去の時は おそらく共に未来の時の中に存在し 未来の時はまた過去の時の中にあるのだ。 時がことごとく不断に存在するものならば 時はことごとく贖いえないものとなる。 かくもあったろう、とは抽象で どこまでも可能性の止まるというのは 思索の世界においてだけだ。 かくもあったろうと、かくあったとの 終わる所はただ一つ、それがいつも今に在るのだ。 足音が記憶の中にこだまする われわれが通ったことのない通路を 開けたこともない戸口にむかい バラ園に出て行く。ぼくの言葉とてこのように きみの心にこだまするのだ。 T.S.エリオット『四つの四重奏』「バーント・ノートン Ⅰ」二宮尊道訳