アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

大江健三郎「奇妙な仕事」『大江健三郎全小説1』p16

 

僕がその赤犬を引いて囲いの入口まで行った時、女子学生が血に汚れた毛皮をさげて出て来た。それを見ておびえた赤犬が暴れるのを運び紐を引き締めて静めようとした僕に赤犬は激しく跳びかかり腿に咬みついた。囲いから出て来た犬殺しがすばやく赤犬を引き離したが腿は痺れたように無感覚だった。

 ひどい悲鳴を上げたわね、と女子学生がいった。赤犬に咬まれたくらいで。

 

 

 恥辱の具体例を思いつく能力は天下一品。

Nussbaum, Martha Craven ” Not for profit : why democracy needs the humanities"

epigraph

[H]istory has come to a stage when the moral man,the complete man, is more and more giving way, almost without knowing it, to make room for the . . .commercial man, the man of limited purpose.This process, aided by the wonderful progress in science, is assuming gigantic proportion and power, causing the upset of man’s moral balance, obscuring his human side under the shadow of soul-less organization.
                                                   —Rabindranath Tagore, Nationalism, 1917

 

Achievement comes to denote the sort of thing that a well-planned machine can do better than a human being can, and the main effect of education, the achieving of a life of rich significance, drops by the wayside.
                                           —John Dewey, Democracy and Education, 1915

 

中村和恵「ウィーン」(2018.9「みすず」)

ジーン・リース『ウィーン』(引用)

 男たちがわたしをだめにした―いつもわたしの心には見向きもせず、身体にばかり執心して。女たちがわたしをだめにした、意味のない残忍さと愚かさで。唯一持っている武器をつかう以外、わたしにはどうしようもなかったじゃない?

手桶と盥を持って、彼女は勝手口を出たり入ったりしていた。身につけている白い胴着はとても薄く、胸の形がはっきり透けて見え、暗色のスカートをはき、裸足で、ちいさな頭にとても長い首、イシマのように切れ長の目をしていた―わたしは途方もない喜びを感じながら見つめた、彼女がほんとうにすらりとして若く、優美な絵のようだったから。そして彼女がわたしをちらりと見たとき、その目にはなにか誇り高く、野生的なものが浮かんでいたように思ったから―たとえるなら若い雌ライオンのような―ある女が別の女を見るときたいてい浮かべる、くだらない敵意じゃなくて。 

 

 

 

ジルベール・シモンドン『個体化の哲学ー形相と情報の概念を手がかりに』

2018.8.31「週刊読書人」書評

上村忠男

ジルベール・シモンドン『個体化の哲学ー形相と情報の概念を手がかりに』

…シモンドンは1950年代当時まだ緒についたばかりの高度産業技術社会の時代にあって、その時代の申し子であるとともにその時代を領導していこうとした多種多様な科学技術知から概念を借り受けつつ、それらの概念に独自の意味内容を付与している。そして個体が個体として生成する個体化の様相を、まさにその生成の相に即して、物理的レベルでの個体化から、生物的レベルの個体化、さらには心理的レベルの個体化をへて、個々の主体の成立を可能にすると同時に複数の主体に通底する超個体化のレベルにいたるまで、包括的にとらえようとしている。

 

Blog「内的自己対話―川の畔のささめごと」黒田昭信

2016.2.16~「ジルベール・シモンドンを読む」

 

米虫正巳「自然哲学は存在し得るか―シモンドンと自然哲学」

『思想』2010.4月号

William Faulkner - Banquet Speech  フォークナー ノーベル文学賞受賞演説

I refuse to accept this. I believe that man will not merely endure: he will prevail. He is immortal, not because he alone among creatures has an inexhaustible voice, but because he has a soul, a spirit capable of compassion and sacrifice and endurance. The poet's, the writer's, duty is to write about these things. It is his privilege to help man endure by lifting his heart, by reminding him of the courage and honor and hope and pride and compassion and pity and sacrifice which have been the glory of his past. The poet's voice need not merely be the record of man, it can be one of the props, the pillars to help him endure and prevail.

 林文代

 

私は、そうしたことを認めることは拒絶いたします。私は、人間は単に生き永らえるのではなく、勝利すると信じます。人間が不滅なのは、人間が生きとし生けるものの中で唯一疲れを知らぬ声を持っているからではなく、人間には魂が、憐れみを感じ、犠牲的精神を発揮し、忍耐することのできる精神があるからなのです。詩人に、作家に課せられた義務は、こうしたことについて書くことなのです。人の心を高めることによって、人間の過去の栄光であった勇気と名誉と希望と誇りと思いやりと憐れみと犠牲的精神を人に思い出させることによって、人が耐えることの手伝いをすることが、作家に与えられた特権なのです。詩人の声は、単に人間を記録したものである必要はありません。それは人間が耐え、勝利を得るための支えの一つ、柱の一つになることができるのです。

 何世代にもわたる忍耐力を持つ動物はそのための時間感覚とその前に歴史という制度を持たなければならなかった。その制度は権力を持つ者が人々に強制する力を持つと同時に強制されようとしている人々の側からそれを拒絶し新たな時間を作成することを可能とする制度でもある。

「コミュニケーションにおける闇と超越」國分功一郎/千葉雅也対談『現代思想』1708「コミュ障」の時代

國分 ある一定の貧相な基準に合致する人物しか活躍できないような社会はよくない。僕の知る業界だと、例えば大学の人事評価や新任人事のやり方にもエビデンス主義が入ってきていて、五つぐらいの評価枠をつくって点数をつけるというようなことが行われてきているけど、それによって失われるものは非常に大きい。ただ、繰り返しになるけど、この種のエビデンス主義は、ある意味で民主主義の徹底なんですね。誰にでも理解できる基準でものごとを決めるということですから。だから簡単には否定できない。ただルートがそれだけになってしまうのはまずい。何でもかんでも、決まり切ったわかりやすい公正な原理で進められればいいというわけではないでしょう。

千葉 なるほど、コミュニケーション規範性にうまく乗るような営業トークも、一定のパラメータでしか評価しないエビデンス主義も、画一化という大きな流れのなかにある。まあ、それらしいエビデンスを根拠資料にして、ある典型的なグルーヴでプレゼンする営業マンというのが企業にも大学にも溢れていますからね(笑)

 同感。企業はいいとしても、教育機関や教育者までが、自分たちの目指す価値を反省的に見つめ直すことを怠って、画一的な価値観で生きる人間を生み出し続ければ、(新たに今よりも悪い社会が生み出されるのではないが)現在のような社会が続きながら、同時にその毒素の部分が一層その濃度を増していくことになる。それがつまり多様性の喪失…弱体化…なのか。