アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

「天皇と国家」先崎彰容(2)

 なにを基準に世界を色分けし、選択すればよいのか。意外なほど自己判断には迷いがつきものである。情報であれ、流行であれ、結局は他人に左右されながら、僕らは自分で判断したつもりになっている―「彼は自分自身の重心を持っておらず、具体的な経験や自己の責任に拘束されなかったから、或る考え方に心を動かされるとその考え方の論理を追って、その考え方の打出す主張の最も極端な形にまで簡単に行ってしまうのだった」(『政治的ロマン主義カール・シュミット

 ロマン主義が差しだす「人間」像に僕らは自分自身を見る思いがして、たじろぐ。他者の大袈裟な主張に心動かされ、すぐさま絶対的なものだと思いこみ、左右されてしまう。「重心」がない。自我の内部は表に曝けだされ、その場そのときに自分を刺激するスローガンに熱狂し、翻弄される。それはもはや、自己とは呼べないような、無色透明で空洞化した自我である。入りこんでくる色に染まることで、自分は何者にもなれるが、何者でもなく、心の洞穴を抱えて恐れ慄いている。

(先崎彰容「天皇と国家―坂口安吾和辻哲郎」19年6月号「新潮」)

 

 世界のルールに従っている限り、世界は自分を助けてくれる。だがしかし、この場所はあまりに居心地が悪く、ここではないどこかに自分がいるべき場所を変えてほしい…だが、どこに?…ただ死をもってこの世界を逃れるか、虫にでもなるか、今とは異なるがやはり人を束縛するルールのある世界で、意に染まぬ服従を誓うか…

 あくまで、つまり死を賭してでもルールに従うか、それとも従わず排除されるか、はたまた、従わずにいることを気取られず、姑息にも排除を逃れ嘯くか…いずれか…