危機の時代と「言葉の病」
……日本語、日本の社会の勉強にはもっと(ドイツより)時間がかかるでしょう。時間がかかるということは価値があるということで、私は文化学習そのものが人生の内容になってしまっていいと思うんです。異文化に接近するというのは難しい。異文化をそのまま受け入れるということではなく、その文化を知り、その文化に対する自分の対し方を考え続けるということですね。(リービ英雄『バイリンガル・エキサイトメント』対談での多和田葉子の発言より)
何かのために「手段」として学ぶのではなく、学ぶことそのもの、考えることそのものが「人生の内容」であるという発想で自分自身の今の生活、人生全体に対していくあり方が、もっと多くの人に共有されれば。
そして、「異文化」だけではなく「自文化」についても、まるで「異文化」であるかのように。