アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

「敷衍について」武田泰淳『すばる』1903号

 私の友人で今度戦犯になった人がある。…

 僕は金がなくなるとよく公園に入る。…

…僕は上海市民とその運命を俱にしているような顔をしてベンチの一隅を占領してはいるが、あたかも二つ穴を持った(注:日本と中国のこと)狐の如く狡猾に身をかわし、姿をくらますかも知れないのだ。僕が中国文化について安易きわまる研究をしている間に中国人民は真剣に生活し、苦難に堪え、相い扶け、闘争していた。僕は行動者として中国に接することの出来ない因循姑息を「研究」という名でごまかしているのだ。漢学や支那学に打ち克ったとはいえ血の気のなさに於いて大差なきかかる研究は消滅し、かかる研究者は空虚なる利己主義者として市民の立ち去った後のベンチに宿なし犬と共に残されるのではないか?

 僕は払えども去らざるこの想いにおびやかされ、そのことによって自己の厚顔なる研究者面に冷水をかけるのを常とした。多くの中国人が戦死し、殺戮され、餓死している現実を前にしながら、僕は自己及び中国をごまかしているという疑惑が僕を苦しめていた。中国語に敷衍という語がある。好い加減にすますの意味だ。僕の研究はまさに敷衍であった。僕は戦犯者ともならなかった代わりにまた革命者ともならなかった。おずおずした中国新文化解説者として、僕は二つの穴の間を嗅ぎまわり、いささかの名と銭を得た。而もなお敷衍にすぎざる中国研究を止めることはできない。提籃橋監獄に苦悩する友人を後に残して平穏無事に出帆しようとする僕は、また自己の一生の研究対象とした中国を、負傷することなく、審判されることなく、永久に敷衍する利己主義者として立ち去るのであるか。(武田泰淳「敷衍について」『すばる』1903号より)

 

 このような意識を持たなくても済ませられるほど、多くの「敷衍する利己主義者」の群れがどの分野にも溢れていて、彼ら自身にもまったく自覚できないくらい。わたしたちも彼らも現代社会にある目の前の惨状の意味を測りかね、「平穏無事」という全く事実にそぐわない枕詞を、現実のかたちとして群衆たちと共に無批判に受け容れている。そんな現実に目を向けさせてくれる戦後の文章。だがやはりわたしたちはあくまでも「永久に敷衍する利己主義者」として生きていこうとする。「戦犯者」でも「革命者」でもなく。そのことを非難する者が、死者(つまり自分の内なる声)以外にいるだろうか。なのにこの「利己主義者」たちには死者の声は届いていない。

「人間は生きているものよりもむしろ死んだものから成り立っている。」(イジドール・オーギュスト・マリー・フランソワ・グザヴィエ・コント)