アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

これこのようにあのひとは想像力を無限の細部に誘いこむ

 こんな経験は誰にでもあるだろう。誰かを好きになり、もうその相手にばかり心が向かっているときには、ほとんどあらゆる本のなかに、当の相手の姿が浮かびあがってくるのだ。実際、その人物は主役としても敵役としても登場する。物語のなかで、長編小説、短編小説のなかで、つぎつぎと姿を変えてその人物は現れる。
 このことから帰結するのは、想像力とは、無限の細部に書き込みを行う能力である、ということである。想像力は、どんな集中性であっても外部に伸び拡がった部分を持つものと見なし、新たな充実した内容をその集中性に対して案出するのである。要するに、想像力とは、あらゆる像を、折り畳まれた扇に描かれた像であるかのようにして受け取る能力なのである。扇に描かれた像は、開かれてはじめて、その内部に蔵されていた愛しい人物の顔立ちを、新たな拡がりのもとに映し出してくれるのだから。

「扇」(ヴァルター・ベンヤミン『この道、一方通行』p82-83)より

  「本のなか」ばかりではなく、ひとの話のなかにも、風景のなかにも、その細部にいつも姿をあらわすわたしにとってのその人物は、扇は扇でも幾重にも折り畳まれ、強く想像力を刺激する扇。かのひとは、このわたしの想像力のセカイ全体を纏い、いつもわたしの意志を鼓舞し、あかるくこのわたしたちの生きる世界を照らしだす。