アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

ダントツによい西脇順三郎訳「バーント・ノートン」

「神の御言葉は、

人々に共通なものであるのに

人々は各々自分だけの考えで生きている」

 

「上がる道も下る道も同一である」

―ヘーラクレイトス

 

バーント・ノートン

 

 

現在と過去の時が

おそらく、ともに未来にも存在するなら

未来は過去の時の中に含まれる。

すべての時が永遠に現存するなら

すべての時はとり返しが出来ない。

あり得たものは一つの抽象されたもので

ただ思索の世界にしか

永遠に可能なものとして残るだけだ。

あり得たものも、あったものも

一つの終わりを指さす、それは永遠に現存する。

足音は記憶の中に反響する

開けたことのない薔薇園への出口のある

通ったことのない廊下に

反響する。私の言葉は反響する

そんな風に、あなたの心にも。

      だが何のために

……

西脇順三郎コレクションⅢ翻訳詩集』「エリオット『四つの四重奏』」p129より

 

 けっきょくのところ、過去も未来もなくただ現在の抽象的な思索をそのように名付け、あったこととあり得たこととも区別することなく、くりかえし人はたとえそれが苦痛という刺激であったとしても、その享楽のなかに淫して、生きる糧とする。もしくは死ぬる理由とする。

……

過去にも未来にも延びつながる

この空しい悲しい時間は馬鹿々々しい。

 『ある島の可能性』のさいごにあってもいいような詩句だね。