アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

カール・クラウスの言葉に思う

 言葉にしゃべらされている人たちが、圧倒的多数でこの社会を構成していて、どんなローカルな場所にでも、それぞれ紋切り型の常套句を交わしあい、安心感を得て、わが麗しの故郷と安寧な生活に満足している。しかしその安心感は、実際にはどんな安全も保障してくれはせず、むしろ、知らぬ間に、我々を破滅へと運んでいく。

もしも人類が常套句を持たなければ、人類に武器は無用になるだろうに。カール・クラウス

 

読書について

もしかしたら、私たちの少年時代の日々のなかで、生きずに過ごしてしまったと思い込んでいた日々、好きな本を読みながら過ごした日々ほど十全に生きた日はないのかもしれない。他の人たちにとってはそれらの日々を満たすように思えたものすべて、しかし私たちは神聖な楽しみへの卑俗な妨げとして斥けたものすべて、すなわち、もっとも興味深いくだりを読んでいる時に友達が私たちを誘いに来た遊び、ページから目を上げ、あるいは場所を変えることを余儀なくさせた、邪魔な蜜蜂や日光、持たされはしたものの手もつけず、ベンチの自分のそばに置き放しにしておいたおやつ、あるいはまた、頭上の青い空で太陽がようやく力を弱めるころ、そのために帰らなければならなかった夕食、その間、すんだらすぐ部屋へ上がって、途中でやめざるをえなかった章を読みおえようと、ひたすらそのことしか考えなかった夕食、それらすべては、読書にとって不愉快な邪魔以外のなにものでもないように思えたはずなのに、実は逆に読書が、とても甘美な思い出として私たちのなかに刻み込んでくれていたので、現在判断するところでは、その時愛をこめて読んでいたものよりはるかに貴重な思い出なので、今日なお私たちが昔の書物をひもとくことがあるとすれば、それはもはや、過ぎ去った日々から保存しておいた唯一の暦としてでしかなく、もはや存在しない住まいや池がそれらのページに映っているのが見えるのではないかという希望をもってなのだ。

マルセル・プルースト(保苅瑞穂訳)「読書について」より

 

 

2017年02月米子西高校「図書館報」 表紙に使用

友情について

とはいえ、楽園で一日をすごすこの楽しみのために、社交場の楽しみのみならず友情の楽しみまで犠牲にしたとしても、あながち私の間違いとは断定できない。自分のために生きることのできる人間は―たしかにそんなことができるのは芸術家であり、ずいぶん前から私はけっして芸術家にはなれないと確信していた―、そうする義務がある。ところが友情なるものは、自分のために生きる人間にこの義務を免除するものであり、自己を放棄することにほかならない。会話そのものも、友情の表現様式である以上、浅薄なたわごとであり、なんら獲得するに値するものをもたらしてくれない。生涯のあいだしゃべりつづけても一刻の空虚を無限にくり返すほかなにも言えないのにたいして、芸術創造という孤独な仕事における思考の歩みは深く掘りさげる方向にはたらく。たしかに苦労は多いけれど、それだけが真実の成果を得るためにわれわれが歩みを進めることのできる、唯一の閉ざされていない方向なのである。おまけに友情は、会話と同じでなんら効能がないばかりか、致命的な誤りまでひきおこす。というのも、われわれのなかで自己発展の法則が純粋に内的であるような人は、友人のそばにいると心の奥底へと旅をつづける代わりに自己の表層にとどまって退屈を感じないではいられないものだが、ひとりになるとかえって友情ゆえにその退屈な印象を訂正する仕儀となり、友人が掛けてくれたことばを思い出しては感動し、そのことばを貴重な寄与と考えてしまうからである。ところが人間というものは、外からさまざまな石をつけ加えてつくる建物ではなく、自分自身の樹液で幹や茎につぎつぎと節をつくり、そこから上層に葉叢を伸ばしてゆく樹木のような存在である。私が自分自身を偽り、実際に正真正銘の成長をとげて自分が幸せになる発展を中断してしまうのは、サン=ルーのように親切で頭のいい引っ張りだこの人物から愛され賞讃されたというので嬉しくなり、自分の内部の不分明な印象を解明するという本来の義務のために知性を働かせるのではなく、その知性を友人のことばの解明に動員してしまうときである。そんなときの私は、友のことばを自分自身にくり返し言うことによって―正確に言うなら、自分の内には生きてはいるが自分とはべつの存在、考えるという重荷をつねに委託して安心できるその存在に、私に向けて友のことばをくり返し言わせることによって―、わが友にある美点を見出そうと努めていた。その美点は、私が真にひとりで黙って追い求める美点とは異なり、ロベールや私自身や私の人生にいっそうの価値を付与してくれる美点である。そんなふうに友人が感じさせてくれる美点に浸ると、私は甘やかされてぬくぬくと孤独から守られ、友人のためなら自分自身をも犠牲にしたいという気高い心をいだくように見えるが、じつのところ自己の理想を実現することなど不可能になるのだ。娘たちのそばにいると、それとは正反対で、私の味わう歓びは、利己的なものとはいえ少なくとも欺瞞から生じたものではなかった。欺瞞というのは、われわれ人間は救いようもなく孤独であるのにそうではないと信じこませたり、ほかの人と話をしているとき、話している主体はもはや他人とは画然と区別されるわれわれ自身ではなく、他人に似せてつくられたわれわれ自身であるのに、この事実を認めるのを妨げたりするからである。娘たちと私のあいだで交わされることばは、なんら興味深いものではなく、そもそもぽつりぽつりとたまに口から出てくるだけで、それも私の長い沈黙によってたびたび途切れた。それでも娘たちが話しかけてくれるのに耳を傾けるのは、娘たちを見つめたり、そのひとりひとりの声に鮮やかな色合いの一幅の画を認めたりするのと同じほどに楽しいことだった。私は、娘たちのさえずりにうっとり聞き入った。愛するようになると、いっそうはっきり見わけたり区別したりできるものだ。小鳥の愛好家は、森のなかでそれぞれの小鳥に特有のさえずりをただちに聞き分けるが、一般の人はそれをとうてい区別できない。

プルースト失われた時を求めて4 花咲く乙女たちのかげにⅡ』吉川一義訳より)

…(「娘たちの声」があらわしているものについて)…

俯瞰について 雑感めも

 空間的な俯瞰というものは、地図やグーグルマップを使ったり、動画で太陽系の大きさとか、銀河の広さを体感させるような映像を見ることができるので、割と把握しやすい。だれでもがイメージ化できる、とまではいわないが、これは、空間を空間的イメージに置き換えるものなので、たとえば空を飛んでいる鳥の視点から地上をながめたりする視点を例にとるとわかりやすいが、航空機やヘリコプターなどで実際に上空へ行き、カメラで撮影し、それを見さえすれば、自分でも想像の中で空中から見たらこんな風、と仮想的イメージを自分の中に創り易いのだ。

 だが、時間となると、空間とはうってかわって、そもそも運動として実在しているということもはっきり言えないし、むしろ記憶や痕跡の各要素の関係性における、知覚上の一つの論理とでもいうべきものなので、空間的イメージになじまない。

 歴史という論理的な構造が、かろうじて時間のイメージ化に成功しているといえばいえるかもしれないが、それもそもそも定義は一定していないし、ある一つの歴史観からながめられる過去・現在のつながりは、時間的要素の関係性の一つのパターンとしか言えないものだ。

 となると、やはり空間的イメージで把握しづらく、多くの人にとって、「時代の流れの中で自己を位置づける」であったり、「時間的存在としての自己をとりあえず把握する」という作業は困難を極めるものとなる。

 それに加えて把握困難なのは、親密な人間関係を超える社会関係であり、目の前にいない人たちとの関係を、自分の社会的経済的地位で、つまり「肩書き」で把握してしまうのは、思考のエネルギーの省力化であり、複雑性の縮減化であり、まあ、思考に対して怠惰な態度をとるのが通常の人たちの心理からすれば、よくわかる行動である。

 こちらも、やはり、空間的イメージに変換しようとしても、変てこな図でしか表現できないのではないか。これは、人間関係の「一期一会」性、「そのつど」性に虚心に立ち返ってみれば当然のことで、自分なりのイメージシステムを構築することでしか、その精緻な把握は不可能ともいえるだろう。

 

「コルヴィッツ通り」多和田葉子

・・・子供は親のすべての表情、仕草、言葉を最終的には解釈できないままに記憶し、夜空のように肩に背負って歩いていく。

たしかにそうだと思う。

自らある程度年をとってからちりばめられた星と星をつなぐように記憶の断片をつないで、柄杓や熊のかたちをした星座を描いてみて、雪の中を後ろ向きに歩く自分を黙って見つめていた母親の心境はこうだったのではないか、ああだったのではないか、と思いをめぐらすこともあるだろう。

何かで読んだ、こうの史代のエッセイで、「原爆投下から25年後の広島で生を受けた私を周囲の人たちはどのような気持ちでこの世に迎えたのだろう」と想像する一節があったが、広島や福島でなくても、かけがえのない死者たちと別れ、その代わりに?生まれてきた新しいメンバーに対してどのような感情を、当の身近な人たちの死を経験してきた人たちが抱いていたのか、こうだったのではないか、ああだったのではないか、と思いをめぐらすこともあるだろう。

 

「敷衍について」武田泰淳『すばる』1903号

 私の友人で今度戦犯になった人がある。…

 僕は金がなくなるとよく公園に入る。…

…僕は上海市民とその運命を俱にしているような顔をしてベンチの一隅を占領してはいるが、あたかも二つ穴を持った(注:日本と中国のこと)狐の如く狡猾に身をかわし、姿をくらますかも知れないのだ。僕が中国文化について安易きわまる研究をしている間に中国人民は真剣に生活し、苦難に堪え、相い扶け、闘争していた。僕は行動者として中国に接することの出来ない因循姑息を「研究」という名でごまかしているのだ。漢学や支那学に打ち克ったとはいえ血の気のなさに於いて大差なきかかる研究は消滅し、かかる研究者は空虚なる利己主義者として市民の立ち去った後のベンチに宿なし犬と共に残されるのではないか?

 僕は払えども去らざるこの想いにおびやかされ、そのことによって自己の厚顔なる研究者面に冷水をかけるのを常とした。多くの中国人が戦死し、殺戮され、餓死している現実を前にしながら、僕は自己及び中国をごまかしているという疑惑が僕を苦しめていた。中国語に敷衍という語がある。好い加減にすますの意味だ。僕の研究はまさに敷衍であった。僕は戦犯者ともならなかった代わりにまた革命者ともならなかった。おずおずした中国新文化解説者として、僕は二つの穴の間を嗅ぎまわり、いささかの名と銭を得た。而もなお敷衍にすぎざる中国研究を止めることはできない。提籃橋監獄に苦悩する友人を後に残して平穏無事に出帆しようとする僕は、また自己の一生の研究対象とした中国を、負傷することなく、審判されることなく、永久に敷衍する利己主義者として立ち去るのであるか。(武田泰淳「敷衍について」『すばる』1903号より)

 

 このような意識を持たなくても済ませられるほど、多くの「敷衍する利己主義者」の群れがどの分野にも溢れていて、彼ら自身にもまったく自覚できないくらい。わたしたちも彼らも現代社会にある目の前の惨状の意味を測りかね、「平穏無事」という全く事実にそぐわない枕詞を、現実のかたちとして群衆たちと共に無批判に受け容れている。そんな現実に目を向けさせてくれる戦後の文章。だがやはりわたしたちはあくまでも「永久に敷衍する利己主義者」として生きていこうとする。「戦犯者」でも「革命者」でもなく。そのことを非難する者が、死者(つまり自分の内なる声)以外にいるだろうか。なのにこの「利己主義者」たちには死者の声は届いていない。

「人間は生きているものよりもむしろ死んだものから成り立っている。」(イジドール・オーギュスト・マリー・フランソワ・グザヴィエ・コント)

 

社会の価値観とともに歩めない人

「人々は生きるためにこの都会にあつまってくるらしい。しかし僕は、むしろここではみんな死んでゆくとしか思えない」(R・M・リルケ『マルテの手記』より)

「粗野な魂の持ち主は、世のなかを駈けまわってそこに楽しみを見出すことができる。しかし繊細な魂の持ち主は大いに苦しまねばならぬ」(シャルル=ルイ・フィリップの墓碑銘より)