アタマの中と世界を結ぶ 東山とっとりとりとめない記録鳥

人生五十年下天の内を比ぶれば、残り七年強。

四元康佑「トルコ・ハルフェティで連詩を巻く」感想

 

そこで僕は(連詩のルールについて:注引用者)次のようなことを話した。

 連詩には連歌のような細かいルールはないが、その精神は受け継いでいる。一言でいえば我を張らず、相手に合わせるということだ。いかに前の人の詩を深く受け止め、次の人へ思いやりをもって手渡すか。これを「付合」と言う。連詩は共同作業であり、競争でも勝負でもない。だから決して一人だけで完結した傑作を残そうなどと思わず、全体の流れと座の調和を大切にすること。

 そして常に前へ進むこと。同じ主題を繰り返したり、後戻りしてはならない。連詩はオペラなんかと違って完結した劇を作り上げようとはしない。むしろ川の流れが泉からせせらぎとなり、渓流となり、時には滝になったり淀んだりしながら、最後には大河と化して海に注ぎだすように、絶えざる変転変化を楽しむべし。

 さっき付合が大切だといったけど、付け過ぎてはいけない。これは「べた付け」と言って、忌み嫌われるものである。かと言って離れ過ぎても、今度は流れが途切れてしまう。付かず離れず、ちょうどよい頃合をはかること。これを「匂い付け」と称するが、言うは易し、行うは至難の業である。

 あと、連詩連歌も即興芸なので、ある程度の速度が要求される。ひとりで長考されるとリズムが損なわれ、ついには座が流れることも。ジャズのセッションを思い浮かべてもらいたい。速く書くには俳句でいう嘱目、すなわち目の前のものを詠み込む技法も有効だろう。 

 楽しい遊びそのもの。遊びをせんとや生まれけむ。

 そして、

 最後に「うたげと孤心」に触れておきたい。先ほど我を張らず、相手に合わせることが大切だと述べたが、実はそうすればそうするほど、書き手の個性が鮮やかに現れる。いわば「うたげ」においてこそ詩人の「孤心」が露になる。逆に「孤心」の貧しい詩人は、「うたげ」においても輝けない。これは僕の連詩のお師匠さんである大岡信の受け売りだけど、詩歌に限らず日本の古典芸能にあまねく見られる本質的な特徴である。(四元康佑「トルコ・ハルフェティで連詩を巻く」1906月号『すばる』p179より)

 これは人間関係、文化の継承、コミュニケーションのあり方そのもの!

 その理想形はやはり「遊び」ということになるか。

 他人の言葉のミスリーディングを伴いながらも、それを受けて人はまた新たな言葉を紡ぎ、結局終わることなくしゃべり続ける。なぜならそれは「遊び」だから。

 この戯曲(「ゴドーを待ちながら」)は今でも不条理や難解と言われていますよね。しかし、この戯曲は一体何を意味しているんですか、と若い役者に素朴に聞かれたベケットが何と答えたかご存じか。笑いながら、彼はこう言ったそうです―「共生だよ」。(佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』「第3夜 読め、母なる文盲の孤児よ―ムハンマドハディージャの革命」p127より)

 まさに「共生」。かくありなむ。

 トルコのハルフェティに集まった詩人たちが、連詩を巻きながら充実した幾日かを過ごし、その最終日に次のようなセリフが披露される。

……

 食事が終わりに近づいた頃、ゴクチェ(トルコの詩人)が居住まいを正して「みんなに言っておきたいことがある」と話し始める。勇介と僕はエスラ(トルコ語の通訳)の口元に耳を近づける。

 「ここにいる僕たちは、いつか死ぬ。遅かれ早かれ、それは誰にも避けられない。僕ら詩人の仕事は、その事実を受け入れながらも、素晴らしい、一回きりの、特別な出来事を体験し、それを言葉で遺すことなのだ。そんな風にして詩人は死を突き抜け、永遠に届こうとする。僕はそう思ってここへやって来た。そしてその願いは叶いつつある。その小さな奇跡への感謝を込めて、乾杯。

 僕は頷きながらグラスを掲げるが、密かに驚いている。ここで連詩を巻いている間、僕も全く同じことを考えて、心の片隅で常に死を意識していたからだ。(四元康佑「トルコ・ハルフェティで連詩を巻く」1906月号『すばる』p187より)

 

 そして私も、この引用をしながら、そうする理由は、日常のそれぞれの体験をしながら、いつも同じように考えていたからだ。私の場合はその手段も含めて。

 それにしても、ここ何日か同じことをずっと考えている気がする。色んな題材を使いながら、同じ所をぐるぐる彽徊している。孤独とそこからの不可能な脱出。死とそこへ向けての生の充実の方途。などとまとめられるか。「特異な生を生きる」とは、どのようなことか。目下私を悩ませている問題である。

 もうちょっと他のこと考えられんのかい!とかとも思うが。